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←深夜3時に…
ナポリの市外に住むようになって、夜の静かさに驚いた事もあります。それまでの私は町中に住んでいたから、深夜でも聞こえる車の騒音に慣れきっていたのに、ここでは静か…静か…静か…。町が眠っている夜…というのを実感するようになりました。
でも私は夜更かしが好きで、朝方まで起きている事はあるのだけど、その町の静寂を破る、不思議な音を聞きました。ザー、ザー、ザー…。「何、コレ?」とおそるおそる窓から覗いて見ると、そこには清掃夫のおじさんが竹箒を持って早朝の通りを掃いていました!! その時は同じ市外でも小さな通りに面した所に住んでいたので、清掃車が入れない為、竹箒という懐かしいアイテムで掃除をするのです。「そうか、清掃かぁ。竹箒かぁ。でもなんか優しい音だよなー。」と感心?して、私は眠りにつきました。
眠る町の夜には、そんな竹箒の音しか聞こえません。週末ともなれば、遊びの帰りで爆走をする車の騒音は聞こえるけれど、それ以外は全くの静寂…。
でも、8月も終わりの頃に、どこからともなく聞こえてくる人々の声に目が覚めたのです。時計を見れば、深夜3時。その『声』は小さく、低く、でも多数の人々の声だと分かる。それがドンドン近づいて来るのも分かる…。
ハッキリ言って私は恐かった。まだ結婚前で一人暮らしでしたし、夢でも見ているのかと。でも『声』はドンドン近づく…。「私は幻聴まで聞こえる程になってしまったのかしら??」と、一人わなわな震えて、布団を被っていました。
でも、その『声』が、本当にマンションの外位まで近づいた頃、その『声』の内容がハッキリしたのです。…アベマリア。そう、聖母に対する祈りの言葉を延々と唱えていたのです。「しかしどうしてこんな深夜に?」下手に窓から覗く事も出来ませんでした。でも『祈り』は今度は遠ざかって行き、30分後には静寂の中に消え去りました。
「ねぇねぇ、昨夜3時頃、お祈りして歩いてる人達らしい声が聞こえたんだけど、何?」と、私は当時婚約者(今の旦那)に聞きました。「ああ、あれは『マドンナ・デル・アルコ』に行く為の人達だよ。」と彼は答えました。それを聞いて「ああ、そうか!!」と思った私。
ポンペイと聞くと遺跡…という感覚がありますが、ナポリ人にとってポンペイと言えば、ポンペイにある教会の聖母像を先ず思い浮かべます。信心深い南イタリアを象徴するように、ナポリ人達もかなり深いカトリック信者達です。カトリックでは聖母に対する愛もかなり大きいのですが、ナポリには、このポンペイとマドンナ・デル・アルコという所に、昔から珍重され、愛されている聖母像(絵ですが)があるのです。
特にマドンナ・デル・アルコへは、毎年8月の聖母記念日にナポリの各地からアベ・マリアなど聖母に対するお祈りを唱えながら、歩いてその地へ向かい、朝方に聖母像を拝むという風習が未だに続けられています。私が聞いた『声』というのは、正しくその人達の行程途中の『声』だったのです。
それから毎年、私はこの『祈り』の声が聞こえる深夜には、もう恐がらず、愛情を込めて彼女ら(女性が多い)を窓から眺める事にしています。40代から10代後半の女性達が、町毎の小さなグループになって進み、朝にマドンナ・デル・アルコに集まる…。彼女らの信心深さには、考えさせられる物があります。
毎日が世界中の聖人の誰かを称える日なので、イタリア中そこかしこで宗教的なパレードが行われていますが、今のマンションはこの市外の町でも大通りに面していますから、この地方に関係する聖人の日には、パレードが通り過ぎる所に住んでいる住民達もバルコニーから歓迎する事に。巡礼?のような物とは別に、パレードはたいてい夕方。私がここに越して来て、始めてのパレードがある日に、階下の子供が「今日はパレードだよ!花火いる?」と言ってやって来ました。私はなんの事だかさっぱりだったので、断ったのですが、実際パレードが始まると、通りの全住民達が、バルコニー&ベランダに花火をくくり付けて、光と共に歓迎するのです。「そうかぁ、こうやってパレードに参加しない人達も一緒になって、自分の信仰心を示す物なんだな」と理解出来ました。
そして、ナポリで愛されているもう一つの聖母像、ポンペイのマドンナのお祝い日も8月にあります。このパレードは夕方ですが、花火だけではなく、各家庭が純白のシーツをベランダに干して歓迎する。単に白いシーツではなく、刺繍などを施してある、綺麗な真っ白のシーツを…。これは聖母に対する純潔さの尊敬を持って掲げられる物。
『政治と野球と宗教の話はしない方がよい』とは、日本でよく言われる事ですが、彼等の信仰心の厚さを実感すると、どうしても書きたくなってしまいました。私自身は、宗教の『しゅ』の字も知らなくて、自分が仏教徒であるのかも分かっていなかった程『アナーキー』だったけど、イタリアに来て、始めて『何かを信じる事の良さ』に気付いたのでありました。キリスト教だろうがユダヤ教だろうが仏教だろうが、アラーの神だろうが、なんでもいい。ただ、心から純粋に何かを信じる事。それが出来れば、どんな事が日々起こっても、本当の意味での幸せというのをいつかは掴めると、信心深いナポリ人達を見て思うのです。
私がナポリに来たばかりの頃、子供を11人産んだ50歳のマンマに、マドンナ・デル・アルコでのミサに連れて行ってもらいました。私が改宗をしたいという事で、信心深い彼女が、ナポリでの偉大な聖母像がある教会に先ず連れて行ってくれたのです。始めて受けるミサに感動のまま、私は彼女とナポリ市内へ帰る電車を待ちましたが、そのマンマさんは「今、改宗しようとしているアキにこんな事を言うのはなんだけど、たまに信じているだけの自分がバカらしくもなるの。私はね、ミサもちゃんと毎週行くよ。毎年、ここまで深夜出発して歩いて来るのよ。お祈りしながら…。でもね、私の生活って何も変わらないのよ…。どうして?って思う。こんなに信じているのに…。どうして私の生活は変わらないんだろう…。」と、彼女は駅のホームで泣き崩れてしまった。
11人産んだ子供の半分が麻薬中毒になり、3人が刑務所へ。旦那は子供と彼女を放り、新しい女と新生活を始めてる。彼女は率先的に『麻薬撲滅運動』に参加し、自分の子供、他のナポリで生まれる子供達が麻薬に走らないように頑張っている。毎日騒ぎを起こす子供達に奔走し、眠る時間もない。そして毎年、彼女はナポリの『聖地』まで歩く…。「変わりますように。変わりますように。」と聖母に祈りながら。
こんな女性は、人間は、彼女だけではなく、ナポリには沢山いる。祈るだけではなく、自分でも率先して何かを変えようとしているのに、何も変わらない。不安に思う時もあるけど、でも彼等は信じる事を変えようとはしない。そして毎日祈りながら、自分で何かを変えようとしながら頑張っている。それが報われない努力である事もあるけれど、その精神を見ていると、私も心が洗われるような感覚に陥るのです…。
そして私は『カテリーナ』というクリスチャンネームで洗礼を受けました。私がカトリック信者になったからって、何も変わらないし、私は毎週ミサに行くお利口さんな信者でもない。でも、心の奥深くで、何かが少し変わったのは事実でしょう。初めて『何かを心から信じる』という事をようやく知ったのですから…。
1999年記
夕方に行われたポンペイの聖母のためのパレード
右に純白のシーツが見えるのがわかります?→
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