『手をつなぐ』という行為って、なんとなくイイと思いませんか? すっげーイイ!!とか最高★ってのじゃないけど、ほのぼのイイというか。でも、そんなほのぼのイイな手をつなぐ行為でも、いつまでもいつまでも心に残る、大切なシーンがあって。私の場合は、初恋の人とのデート時のこと。デート(←こういう言い方すらも懐かしいかも(^.^;)数回の内は、まだどこに行くのもお互い並んで歩くだけ。本当はどっちも「手をつないで歩きたい!(≧ε≦)」と思っているのに、それが行動に移せない時、そういう時に、ふと、お互いの手が触れ合ったりすると、全身にビビビビン!!!っとくるほどのアツサを感じて。そういうことがあって、相手が恥ずかしそうに無言で私の手を取って、つないだ手。私も超恥ずかしくてうつむいて歩いたり。でも、めっちゃ嬉しくて、心臓バックンバックン……。
思い出すと「あ〜〜〜、なんてステキ♪」「たった、それだけのことが、世界全部〜〜〜!!みたいに嬉しかったんだよな〜」としみじみ思う。旦那との初めの頃のデートだって、初恋からは10年以上たっていたけど、似たような想いあったしねー(^.^;。「でも、もうそんな想いは、私には巡って来ないだろうな〜」としんみり…。「手をつなぐだけでも心底嬉しい、ってなことはもうないんだろう」と思うと、切なくなったり。
しかし、神様というのは素晴らしい! 恋の相手にドキドキ手つなぎが出来なくなってくるお年頃になったら、今度は違うステージを用意してくれていた(^O^)。それは、子供と手をつなぐ、ということである。
自分の子供と手をつなぐ、というのは、初恋当時の時とは違って、全身ビビビンとも来ないし、恥ずかしくもならず、素っ気ない感じで始まる。親という立場上『ああ、しっかりこの手を離さないでいないと!』と責任も感じてしまうし……。
でも! 責任感を感じながら、まだまだ完璧に歩けない子供について、相手の歩幅に合わせて、手をつないで歩いていくと、知らず知らずの内に、喜びが生まれてくる。子供は、よちよちながらも一生懸命歩こうとしている。そして、それを支えながら『一緒に手をつないで歩くことの大切さ』をしみじみと感じるのだ。
甥と手をつないで歩いていた時には、こういう感覚はなかったけれど、やっぱり自分の子供は別なのかな。初めは「守ってあげないと」と思っていても、その内に立場が同等になる。「一緒に手をつないで、一緒に歩いて、一緒にいろんなものを見よう! 感じよう!」と。
子供と手をつないで歩く、というのが、こ〜〜んなに嬉しいことだとは想像していなかった。それは、初恋の人とはじめて手をつないだ時の気持ちと全く一緒。気持ちの感じ方は違うんだけど、喜び、幸せ感はホントに一緒(*^.^*)。私の手を必要としない、一人でどこへでも行けるようになるまで、いっぱいいっぱい、一緒に歩いて、いろんなものを見ようね、ぱっくん!!\(^o^)/
で、Pasquale豊が成長して、親と手をつなぐなんてうざったくなったら、それこそ本当に、もう手をつなぐ喜びはなくなってしまうのか……と、先行心配もしちゃったりするんだけど(^.^;、でも、大丈夫。第三期の『手』はやって来る! その相手は旦那だろう。Pasquale豊が独立して、夫婦2人に戻る老年の旦那と私。お互いの手はしわくちゃになっているだろうけど、そのシワの1つ1つを愛おしむように、手をつなぎたい。そしてまた一緒に歩きたい。
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いろんな国に行ってみても、手をつないで歩く老年夫婦がとってもステキに見える。若者同士が手をつないで歩いているより、母と子が歩いているより、老年夫婦の手つなぎの方が、何故かシックリくる。他者にまで幸せ感が伝わってくるような。きっとそれは、彼らが『初恋』『子供と』という段階を経て、いろんな幸せと喜びを感じながら、手をつないでいるからだろうね(*^.^*)。私と弱夫も、そういう風になれますように★ あ、でも当分はぱっくんの手をお互い離さないだろうけど〜〜(笑)。10/12/02