私がなぜイタリアに、それも ナポリにやって来たか。そしてなぜここに永住しようとするのか…数々のハプニングや幸運を織りまぜ、赤裸々にお伝えするアキ・ダモーレの感動の半生記!
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1: 旅行パンフレットから始まった
2: 黄色いビデオ
3:6年ぶりのイタリア
4:ミラノでの初日
5: A4 -20枚の手紙に腕立て伏せ1000回
6:語学学校辞める
7:履歴書送付と初ナポリ
8:ミラノ発ナポリ行きインターシティー
9:足止め
10:イタリアでの初の面接
11:ミラノでの初仕事
12:ナポリのソレントでの年末
13:ようやく口に出せた言葉
14:ローマでの可能性も拒否
15:いよいよナポリへ!
16:ナポリは唯一
17:はじめてのホームステイ
18:ナポリでの語学学校
19:ナポリでの仕事探し
20:都合のいいお願い
21:ナポリでの共同生活
22:初めての仕事
23:困った観光客
24:事務職に変更
25:広告代理店とは言え
26:アモーレは何処?
27:チケットが結んだ恋
28:彼の夢実現
29:波瀾万丈の始まり
30:決別…
31:とにかく彼は頑張った
32:アニマルフレンズ
33:自分の仕事
34:奢りから焦りへ
35:採用になって有頂天
36:『明日』にかける思い
37:勝手にイラストレーター
38:順風満帆なネットお仕事
39:信じる事を意識…
40:週5回の教会通い
41:その『扉』を開ける
42:洋服ではない教会
43:旧伯爵邸に決定!
44:引き出物探し
45:Corredo
46:陳腐な写真はイヤよ
47:嫁入り前の小旅行
48:お役所結婚式
49:ついにアキ花嫁!
50:アヴェ・マリア
51:披露宴その1
52:披露宴その2
53:お迎えの来ないパリ
54:リムジンと田舎者
55:米人の小さな親切
56:楽園ワイーネ島
57:夢のボラボラ
H O M E


 
 24:事務職に変更

 観光の一番のかきいれ時8月に、私は事務所に足を向ける事が出来なくなりました。社長や副社長は心配してアパートに電話をくれましたが「具合が悪い」と。もちろんそれはウソでした。私は単に、この仕事から逃避したかったのです。

 仕事ではイタリア語、英語、日本語を使いましたが、当初の心配ほど苦労する事はありませんでした。毎日たいてい同じ事を観光客に説明するのですから、一度表現を覚えてしまえば、すんなり出てくるように。でも、問題は『接客』でした。

 人を相手に仕事をする人は本当にたいへんだと思います。いろんな人がいて、どんな対処をしても相手は不服を言うだけだったり。日本でもタクシーの運転手さんやコンビニの店員さん達から「こんな客がいた!」とビックリ話を聞くことは日常茶飯事です。そしてツアーの添乗員さん達から聞く話も、こちらを驚愕される事ばかり。

 私が働いていた観光事務所でも毎日毎日世界各国から、いろんな人がやって来る。そして本当にいろんな人がいる。変わり者も多かったですが、やはり私が一番辛かったのは、前回にも書いたようにナポリの悪評を叩き付ける人達でした。

 そんな事でいちいち悲しんでいたり、辛く思っていては、この仕事は出来ません。変な客やイヤな客が来ても、それを5分で忘れ、次のお客さんに笑顔で応対。仕事が終われば、そんな客の事は一切頭に残っていないような感じで、逆に変なお客が来たら、それを笑い話に出来る位 の根性と、良いお客さんに対しては感謝し、いろんな人と出会える楽しみを持っている…そんな感じでないと、接客業は勤まらないと実感しました。

 が、私にはどうしてもそれが無理でした。プライベートならともかく、仕事の世界の中で、こちらがどのように説明しても分かって貰えなく、悪言を残されて去られると、それをいつまでも忘れる事が出来なかったのです。「やっぱりナポリだ。いい加減だ。災難を自ら受けに来たような物だ。憤りしか感じない。君もナポリ男に騙されてこんな所にいるんじゃないのか?」こんな言葉を何十回も聞いて、それがいつまでも心の中に残っていました。

 ナポリに居たいが為に始めたこの仕事。でもやり続けながら、この仕事には全くもって不向きであると確信するようになりました。そして情けない話ですが、それをちゃんと社長には言えず、逃避してしまったのです。

 そして8月も中頃、私は仕事も忘れ、自分のヴァカンスをしました。ビーチと太陽の生活。仕事を放り出しているのに、ちゃっかり楽しんでいる自分。でも次第に「逃避してはダメ。ナポリに帰ったらちゃんと話に事務所に行こう。」と決め、当初2週間の予定を1週間に切り上げ、ナポリに戻った翌日に、事務所に顔を出したのです。

 でも皆は怒っていたりはしませんでした。私を妹のように可愛がっていてくれた副社長は「アキ! 海に行ったのかい? 日焼けするとハワイ人みたいになるね!! ステキだよ♪」という始末(笑)。それに賛同する社長。しかし他のスタッフ達(特に中年以降のこの道何十年のおじさん達)は、私がちゃんと説明するまでは「小娘は全く我が儘だ」というような視線で私を見ていました。それは当然の事です……。

 さて、私は、社長&副社長を前に、自分の気持ちを話しました。「残念ですが、やっぱり私にはこの仕事は無理です。今まで一緒に働いて来て、お分かりの事でしょう。申し訳ないのですが、続ける事は不可能だと思います。」と言うと、二人はため息……。

 そして副社長が言いました。「確かに営業力はゼロ。いや、マイナス100程度かも。ツアーの宣伝もしないし、後もう一押しすればイケル!って客にも何のアプローチもしない。本当に向いてないんだよね、コレは俺達の眼力不足だったな。」と、ストレートな事を言われましたが、私は反論出来る訳もありません。

 が、その後に続けて副社長は「でもなぁ、性格なんだよ、見捨てられないのは。危なっかしいのに、一生懸命で。営業はマイナスでも、取りあえず精一杯やっているってのが、こっちにも伝わるからなぁ。泣きながらでも一生懸命なんだもんよぉ。ホント、参るよ、アキの性格には。」と言いました。そして社長も「そうだよなぁ、アキがどんなにナポリが好きで、ここに居たいかってのがひしひしと伝わって来て、こっちは助けてあげないとイケナイみたいな錯覚に陥るもんなぁ。」と。そして二人して「そうだよなぁ…。」とうなだれていました(笑)。

 社長ともランチを共にする事がよくあり、その度に私は『自分がどうしてナポリが好きなのか』をいつも話していました。特に社長が気に入った表現があり、それは日本ではよく使われる表現なのですが、ここナポリでは珍しかったのでしょう、他の初対面 の人達を交えてのランチ時には社長は「ほら、アキ。あの話を皆にしてやってくれないかな?」と聞いて来ました。

 その話とは「キリスト教では輪廻転生の教えはないけれど、東洋では信じられている。で、私はこれからキリスト教に改宗をしようとしているから、本来ならこんな話をしてはいけないのだろうけど、私はどうも前世がナポリ人であったように思うのです。そうでなければ、ここまで強い感情は生まれないような気がして。でもそれが本当であれ何であれ、私はナポリに居るだけで落ち着くし、『ようやっと自分の土地を得た』という感じがするのです。」

 こんな話をいつもしていたので、社長も副社長も、他のスタッフや関係者も、営業がマイナスな私でも、なんとかナポリに居させる手助け?をしてくれようと思ってくれたのかもしれません。

 で、突然、社長が「じゃ、こうしよう。アキは事務員。事務所にいて、電話番や、雑務処理するだけ。観光客の相手はしないでいいから。その代わり、お給料はそんなにあげれないよ。」と。そこで副社長が「でもよぉ、アキは歩合制でも全然儲けていなかったんだから、変わりないと思うよ、俺は! ぎゃはは!!」と言う事で、私はいきなり、事務員に変貌。それまでの悩み?はウソのようにルンルンで出勤を開始する事になったのです(笑)。

 毎朝8時半に出勤。誰かスタッフを見つけてはカプチーノとクロワッサンの朝食をバールで奢ってもらい、昼は昼で会社払いのランチ(パスタ、メイン、付け合わせ野菜、ワイン500ml)をいろんな中央駅近くのトラットリアで。この待遇?は、働きだした当初からあったのですが、事務員になってからは、もっと楽しめるようになりました(笑)。

 事務所のお掃除は週に一回、雇いのお掃除人がやって来るので私がする必要はなくても、毎朝床の拭き掃除にカウンターや家具を磨いたり、余計な事までしました(笑)。いっぱいかかって来る電話(時にはスタッフ達の女とかからも:笑)の応対に忙しく、続々と届く観光マップに事務所のスタンプを押す単純作業も毎日数時間やりましたし、書類の作成や整理で、本当に『事務員』していました。で、観光客が直接事務所にやって来ると、私は出来る事なら応対しましたが、携帯でスタッフを呼んで、ちゃんとした『営業応対』をしてもらう事の方が圧倒的に多かったです。

 そんな訳で、自分の不得意な分野を全くせずに働かせて貰える状態になったので、毎日が満足の日々でした。そして社長&副社長との仲も深くなっていきました。それまでもお宅にお呼ばれされた事はありましたが、事務員になってからは、私自身が喜々としていたせいでしょうか、頻繁にご家庭に呼ばれるように。特に事務所から徒歩2分に自宅がある副社長の奥様やお姑さんには、いろんなお料理も教えてもらい、小さな子供達からも好かれるようになりました。

 でも、単なる事務員では、朝8時半から夕方7時までの営業時間を持て余す事もありました。そこで私が考えたのは、店頭に張るポスターや、一目で分かる写 真付きのホテルのランクや料金表の作成。そして島に向かう船の時刻表や料金も、フェリー&水中翼船を運航している会社がたくさんありますので、観光客は様々な会社の時刻表を何枚も見ながら検討する事になります。それを一括して、単に時刻と値段で検討出来るような物を作ってみてはどうか?と思い、19歳の頃からグラフィックデザイナーをやっている私は、当時タイプライターしかなかった事務所で、「タイプライターなんかでは見やすい物は作れないから」と、得意だった手書きのレタリング(!)と手作業作図を駆使して、その時刻表を完璧に仕上げ、ホテルの表もかっこよく作り、店頭に張るポスターもドンドン作っていったのです。

 営業ではマイナスだった私が、顔色を変えて作成する様は、他のスタッフには驚愕だったようです。「アキにはこんな才能があったのか?!」と(笑)。そして、それを見た人達から、「今までの経歴を教えて欲しい。その分野での仕事はしないのか?」と聞かれるようになったのです。22/05/00