ナポリでの始めてのホームステイ生活。「気を遣うのでは?」と思っていたのに、気付いてみれば、まるで家族の一員。一週間たった頃から私は、ご両親の事を『マンマ』『パパ』と呼ぶようになっていました(笑)。
歓迎の手作りピザでも分かるように、パパは料理がお得意で、働くマンマも手助けもあって夫婦交代で食事を作っていました。男性は料理が出来ても後片付けが嫌いな人が多いですが、パパは買い物から調理、後片付けまでキチンとこなす満点お父さん。もちろん3人の娘達も一生懸命お手伝いをして、この『Di
Meo』家の小さなキッチンは、いつも皆の笑顔でいっぱいでした。
私も、この一ヶ月のホームステイでいろんなナポリ家庭料理を覚えていきました。それに中華レストランに行く娘さん達からのリクエストで、私が炒飯と餃子を作った時は、娘さん達には大受けで、作り方レクチャーまでしましたが、イタメシというか、ナポメシしか食べないパパには「うん…なんか…変わった味〜?」と不評(笑)。家族の中でも一番気性の激しい次女のラウラが「パパ!アンタは分かってないんだよぉ〜。パパは一生ピザ食べて暮らせばいいんだよ!」と、皆で大笑い。『パパには不評』の炒飯も今ではいい思い出です(笑)。
週末のお出かけもいつもご一緒させてもらいました。パパの弟さんが、ナポリから車で2時間のアヴェリーノという所に住んでおり、一番初めの週末はそこにお泊まりに。すでに3月。ナポリはすっかり春の陽気なのに、たった車で2時間のアヴェリーノ郊外は高台に位置するせいでしょうか、一面の雪景色…。ミラノでもスキーの誘いを断っていた私ですので、後にも先にもイタリアでこれほどの『積もった雪』を見るのは始めて。末っ子のガブリエッラはまだ子供だから、雪に大はしゃぎ! 皆で雪合戦などして遊びました(^O^)。
3人の娘さんと私はそれぞれ年齢がバラバラ…、でもやっぱり女の子。ファッションや音楽などの話で毎日盛り上がり(笑)! 私は結構派手?な服を持っているのですが、皆が「きゃ〜〜〜!アキ!コレ着てみて!あ、コレ、私着てみてもいい??」と家の中でファッションショーになる事も度々でした。しかも末っ子の10歳のガブリエッラも体は小さいのに、オシャレに興味が出てくる年頃。私の大人用の服を着て、ガボガボなのにとっても嬉しそうにしていました。しかも私のヘアスタイルやメイクにも、色々アドバイスを(笑)。「アキ、今日のメイク、サイコーだね♪ それに髪はこうしてみたら? 絶対似合うよ!」などとすっかり私は彼女の実験台?になり、いろいろ髪型を工夫してもらったりしましたが、10歳の女の子といえど、マジに上手(^.^;。そんな彼女とも私は真剣に(笑)いろんなオシャレの話をしました。
平日の夜は学校の友人達と出かける事も多かったですが、長女:ティツィアーナと、その彼氏と仲間達で食事に行ったり、踊りに行ったり、及びただ単にナポリ湾を皆でゆっくり散歩したりする事も。で、私が学校の友人達と出かけた翌日には、パパが必ず「アキ! 昨夜はどうだった?楽しんだのかい? 誰かステキなナポリ男と出会ったりしなかったのかい?」とチャチャを入れてくる…。「え?何々? ちらっといたのかい? で、そいつは迫って来たのかい?いきなり迫るような男はダメだからな。」と、パパも私にアドバイス(笑)。…色々ありましたが、本当にこの一ヶ月のホームステイは、本当に楽しかったです。
でも、楽しんでばかりはいられません。私は4月上旬に日本に一時帰国する予定になっていました。日本からやって来た時に購入した『一年オープン』の航空チケットの期限が切れるからです。そのままナポリに居ても良かったけど、貯蓄も底をついている。ミラノでの仕事も捨て、ナポリで仕事を探そうにもそう簡単にはいかないだろう。じゃ、取りあえず日本に帰って、2ヶ月間でも寝る間を惜しんでアルバイトでもして、ナポリの当面の生活費を作ろう…と思い、帰国便の予定もすでに入れていました。
それにミラノの社長から、日本での仕事も依頼されていました。大かがりな物ではなかったですが、仕事を辞めてナポリに来たのに、私が日本に一時帰国をすると分かってすぐに仕事を依頼してくれた社長に感謝し、ナポリとのしばしの別れは辛かったですが、私は2ヶ月の東京滞在を決めたのです。
とは言いながら、ナポリに居る一ヶ月強の間にも、自分なりの仕事探しはしていました。パパに「広告出してみればいいじゃないか? 通訳、翻訳、日本語教える、とかさ。アキのデザインの仕事じゃないけど、先ずは何かナポリでの仕事があれば違うだろ?」と言われ、求人&求職新聞に掲載依頼を。ミラノの仕事だって、友人が見たそういう記事から見つかったのですから、私もすぐにパパのアドバイスに従った訳です。
が、『日本人が翻訳、通訳などの仕事を求めています』と掲載された記事を読んで電話して来たのは、ただ単に東洋女に興味がある男性ばかりでした。広告では性別が分からないようにしましたが、電話を受けて私が女性と分かると、会話を続ける…という状態だったようです。「翻訳を頼みたい」と言われて出かけると、「食事でも…」と言われ、結局はナンパ目的だったり、愛人契約を頼む人も。「これから会社にお連れします」と、身なりと言葉遣いのキチンとした人に丁寧に言われ、車に乗ると、人のいない所で停車され、いきなり抱きついて来る…とかもありました。
恐かったですが、自分は自分で守らないといけません。仕事の可能性を信じて…という理由はあったにせよ、車に同乗した私に責任があるのです。それにミラノでも同じような事は何度もありましたし、すでに対処の方法を心得ていました。「私をそこらへんの軽い女と一緒にするな!」と叫びながらの『蹴り』を一発お見舞いさせる訳です(笑)。そして車を降り、すたすたと帰る。
今から考えると「どうして初対面の人の車になんか乗ったのか?」とも思いますが、当時の私は、少しでも仕事の可能性に賭けていたんでしょうね(^.^;。それに自分で自分を守る事はいつも心がけていました。同乗しても道はチェックし、少しでも知らない地域に入ると、そこから抜け出すように言い、心の中にはいつでもバリアを張っていました。
そういう人達ばかりの広告効果で、さすがに「広告を出してごらんよ」と言ったパパも詫び、家族全員が「ナポリにはそんな人ばかりじゃないのに…。残念で仕方ない…。」と、沈んでしまったので「いや!大丈夫、大丈夫! だってこういう事って世界中であるよ。逆にナポリの人達は強姦とか力ずくでもどうにかしてやれ!みたいな所はないから、私は安心してるよ〜。それにこういう人達だけじゃない事、私はよく知ってるから!」と皆に言いました。
と、言う訳でナポリでの『求職広告』は大失敗に終わった私ですが、東京に帰る前に、ミラノから友人達がやって来る事から、話が変わってきました。ミラノで声楽を勉強している歌手3名の友人。イタリアンオペラにはナポリ語の歌が殆どですので、「いつかはナポリに行きたい!」と思っていましたが、元々お嬢様な彼女達は治安の悪いナポリに来るのが不安…。「でも、今はアキがいるわ!まぁアキは一度東京に帰ってもまたすぐにナポリに戻るだろうけど、日本に帰るまでに私達を案内してくれない? どーしてもナポリに行きたかったんだもん。すぐにでも行きたいから!」との事。
彼女達のミラノのマンションでいろんな日本食ディナーをしてくれたのに、私はそのお礼も出来なかったので、『お返し』をする絶好のチャンスだし、それにまだ一ヶ月の滞在の中、私自身も行っていなかったカプリ島に一緒に行こうとなって、数日間、ホテル決め、いろんなナポリ観光交通事情を、数あるナポリ観光事務所を巡り、ホテルも直に行って探し、調べ始めた私だったのでした。
で、ナポリ中央駅の観光事務所にたむろしている観光業の人にスカウト?される事に(笑)。
私が窓口の人に「ナポリに住んでいるのですが、友人達が来るので色々情報を…」と言うと、その人が「え? ナポリに住んでるの? あのさぁ〜今度、この中央駅に私設の観光事務所作るんだけど、働いてみない? 日本人だから当然英語も出来るでしょ?」と…。
「え? まぁ…。」と答えて、また私は自分がミラノでの仕事を捨て、ナポリに来たのかを自然と語っており(笑)、「…と、いう訳でナポリで仕事を見つけるのが、先ずは私の第一目的だったので、このお話、喜んでお受け致します。」と、初対面の相手に言ってしまっていました(^.^;。
でも今度の相手は、私を車に乗せて人のいない所に連れて行くのではなく(笑)、副社長に紹介され、同僚となる方々全てに面通し。私設観光事務所の最後の申請申込に、ナポリ市役所まで同行させられた程。ハタと気が付くと、私はその事務所の開設メンバーに加えられていたのでした(笑)。
え? ナポリでは仕事見つけるのって、たいへんな事じゃなかったかしら?…と、思いながらも、この自分のラッキーさに感謝にし、しかもこの事務所が開設されるのは、丁度私が一旦東京に行って帰ってくるあたり…。時期もピッタリ合って、私はそれまで一度もした事がない『観光&旅行案内』をナポリでの仕事でしていこうと決め、その開設までは、とりあえずミラノの仕事もあるし、一時日本に帰国したのでありました。(10/03/00)